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相原 勇のこれまで

本当にすごいことだったんですね。
携わったひと本当にすごいです

来歴・人物
榊原郁恵の演ずる『ピーター・パン』に強く憧れ、「“ピーター・パンを演じるために芸能界に入った。”」と自ら語っていたことは有名。実際、舞台でピーター・パンを演じる機会に恵まれ、その夢を叶えた。バンド輩出番組『平成名物TV・三宅裕司のいかすバンド天国(通称:イカ天)』(TBS系)で、三宅裕司と司会を務めたことで大ブレイク。明るく元気な女の子、といったキャラクターで人気となり、以降様々な番組に出演。

父親は地元の大手銀行マン。中学生の時に、榊原郁恵の演ずる『ピーターパン』を観る。ピーターパンが観客の上を飛ぶ。小原は圧倒され、感動した。そしてそのことが小原の人生を変えた。「私もピーターパンをやりたい!」

そのためには芸能界に入る必要があると考えた小原は1984年、高校生のときにホリプロタレントスカウトキャラバン(第9回)に応募。すると、中国・四国地区代表としてなんと決勝まで残るという快挙を遂げる。ちなみにそのときの優勝者は井森美幸であった。他に決勝に残った中に鈴木保奈美がいる。

1985年4月、芸能界デビューのため上京する際、父親から「東京の大学に送ったと思って4年間は待ってやるから、4年経っても成功出来なかったらあきらめて帰って来い」と言われたという。

1986年4月、別の事務所から、本名の小原 靖子で「ちょっとHENSHIN」という曲で念願の芸能界デビューを果たす。秋元康のプロデュースで、当時秋元が手掛けていたおニャン子クラブの「 おっとCHIKAN!」に見せかけた企画モノで、相原自身「間違えて買ってくれる人がいないかなって」と開き直っていた。その後、同じ秋元プロデュースで広島弁「ぶち」を題名に使い「じゃけぇ」や「たいぎぃ」などの広島弁を随所に散りばめた「恋はBUCHIBUCHI!」という珍曲を出すも、折からのおニャン子クラブブームもあってか、ほとんど有名になることはなかった。事務所の倒産もあり、芸能界での活動は制限されてしまった

1987年には、小学館の雑誌『GORO』の激写で篠山紀信撮影のヌードを披露。この頃の彼女の活動には不明な部分が多く、他には単発ドラマに出演していた、という未確認情報がある程度である。

そして、1989年2月から放送が始まった『イカ天』の司会者に抜擢される。当時、無名に近いタレントの抜擢であったが、『イカ天』は『平成名物TV』という1つの番組の中の1コーナーという位置づけであったため、当時のスタッフとしては思い切ったことができたのであろう(三宅裕司による指名があったという噂もある)。ちなみにこの年の4月が、前述のように父親に言われていた4年間のタイムリミットだった。もし「イカ天」に抜擢されていなかったら、「広島に帰っていた」と本人も言っている。そして名前も「相原勇」に変え、心機一転での再スタートの瞬間であった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月25日 19:54に投稿されたエントリーのページです。

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